2016年5月29日日曜日

時が過ぎても



すべての過去は永遠に保存されて続ける。
しかもいつでも想い起こし、取り戻すことができるような仕方で、取って置かれている。

過去ほど安全かつ確実に存在しているものはない。未来は来るか来ないかわからない不確かなものだし、現在は一瞬にして過ぎていくほかないものだ。
それに対してすでに過ぎ去ったものは、私たちによって過去の中で永遠に保存され続け、すべてのものが回復できるように永遠に保護されている。

             ヴィクトール・フランクル
               「意味への意志」から





As Time Goes By(時の過ぎゆくままに)

これだけは心に留めていて欲しい
キスはキスであり、ため息はため息
恋の基本はどの時代でもあてはまる
いくら時が流れようとも
恋人たちが恋をすると
やはり「愛してる」とささやく
これだけは間違いがない。
この先何があろうとも
いくら時が流れようとも
月の光とラブソング
すたれることなどない
人々はいつでも嫉妬と憎しみで激情に駆られる
女は男を求め
男は女を求める
誰も否定することの出来ない永遠の真理
いつの時代にも存在する物語
栄光と愛への戦い
生きるか死ぬかのせめぎあい
恋する者たちを世界は優しく受け入れる
いくら時が流れようとも

As Time Goes By(時の過ぎゆくままに)





2016年5月24日火曜日

二分法は幸せな人でも不幸になる発想です



人は悩むと、AかBかの二つの選択肢を提示して、どちらを選択するかという発想(二分法)を知らず知らずのうちにしてしまいがちです。

その典型が「白か黒か」つまり「0か100か」どちらを選択するかという発想ですが、実際にはグレーがあり、グレーだって白寄りのグレー、黒寄りのグレーがあり、その間には1~99があるように何種類もあります。中間がたくさんあるという現実を無視した発想なので、別名『虚偽の二分法』とも呼ばれています。

一時頻繁に使用された「勝ち組・負け組」というレッテル貼りもそうですが、二分法はそもそも論になっていないことが多いにもかかわらず、多くの人が疑いもなく使っています。

特に子どもは親から頻繁に二分法を学んでいるようです。

「肉食系・草食系」だって同じです。2つに分けて決めつける人がいますが、人にはそれぞれいくつもの事情があるのが本当なので「あんたアホか」となります。しかし決めつけている当の本人はそうではないのです。

世界には、食べたくても食べられない人がいる。好き嫌いを言って食べ残す子供は贅沢だ。そんな子どもたちには、食べられずにやせ細った子供達がたくさんいる貧困な国をみせてやりたい。

一見正論のように見えますが、しかし論になっていません。

この発想では「好き嫌いを言う子の代わりに、食べられない子どもに食べさせてやりたい」と言ってるようなものですが、食べられない子どもだって好き嫌いを主張してもいいはずなのです。
つまり、身近にいる子どもと、他国で暮らしている子どもはそもそも無関係なのです。

封建的な国柄、家柄では、二分法を都合よく使ってきました。
いまでも子育てに使っています。

「少々の熱がなんだ。お父さんは39度の熱があっても学校は休まなかった」

お父さんと子どもは別個の人間なので感じ方も体力も違います。子どもの身になってよく聞いてあげることが先です。

「自殺をする人は命を粗末にしている。世界には病気や飢餓で生きたくても生きられない人もいるのだから、命を粗末にするべきではない。」

病気や飢餓による死と、自殺による死は、全くの別問題です。原因が違うので、解決策も違うのが正解です。

二分法は幸せな人でも不幸になってしまう怖い考え方です。なぜなら100点満点の完璧な人などいないのが実際なのに、完璧でない自分も含めて、すべての人に対して否定的になってしまうからです。

自己否定・他者否定の構えでは楽しく過ごせません。

夢を育む自分でいるために自己肯定、他者肯定の構えを大事にしていきましょう。