2014年9月5日金曜日

「好きな人とのセックスなのにハッピーじゃない。」



イキそうなのにイケない。
一度もイッタことがない。

と、いう女性は少なくありません。

セックスはメンタル&フィジカルの両面が密着した行為なので、些細な心理の動きで感じ方は変わります。なんでもない一度のつまずきがその後も緊張になってうまくいかないこともあります。愛し合う関係の破綻に繋がる場合もあります。

「セックスしたら、彼の態度が冷たくなった。」という恋の相談は多い部類に入ります。

「セックスはしてるけれど、どんな関係かよくわからない」というのもあります。
さらに「彼は他の女性ともつきあっているようだが、その関係が分からない。」

その反対もあります。

「セックスを拒否したら、彼の態度が冷たくなった。」
「同時に何人もつきあってるけど、誰が本命か自分でも分からない」

どれもセックスをエサにしたことで起っている同じ悩みのように思えます。

「女が身体を提供すれば男性は満足する」あるいは「自分のようなものでは満足してもらえない」と思い込んでいる勘違いな女性がいます。どちらもそんなことはない」のが答えです。

意識しているかどうか、あるいは意識と違っても、相手の気をひきたくて、確かな関係にしたくて、将来につながる保証が欲しくてと微妙に目的は違うものの、そこには精神的なつながりを求めながら、確かさがない不安を解消するための「愛されたいセックス」があります。理由は違っても結婚していても同じです。

彼女たちの「愛されたい」とは、「自分の空虚を埋めてほしい」という意味なのです。つまり、自分は相手の心に手をさしのべることができないのです。


その不安とアンバランスが相手に伝わってしまうことで起こる問題なのです。

自分を愛してくれるかどうか、不安を鎮めるために身体を差し出すとすれば、どちらにしたってセックスは貢ぎ物に成り下がります。そこで女性誌で学んだテクニックを駆使しても、愛の交歓にはなりません。

それではエクスタシーが得られるわけがありません。

心と身体は分離し、スポーツのようなセックスで快感を得られても心の満足はないので本当の歓びはありません。

もともと欲しかった「安心」が得られるわけではないからです。セックスレスになるのも、さらに求めてしまうのも根っこは同じなのです。

意中の男性に熱くなるものの、好きと言われたら、うれしいけれど怖くなって関係を壊し、複数の男性とセックスを楽しむ。

どんなに楽しんでも虚しく不安だけが募り、不安を消すためにセックスする。典型的なセックス依存症のひとつですが、彼女が欲しいのは、「怖くなって壊す関係」そのもの。




「私は肉食系’」と豪語しても実際は壁の向こうで震えるか弱い少女のままなのです。「自分が何者なのか」認識できないまま大人のふりをしているだけです。
「自分が何者なのか」分からないのに相手を受け入れることはできません。

男性は「自分が何者なのか分からない女性」を抱いていても人形のように感じるでしょう。自分を肯定している男性なら、魂を入れようと誠実に支えようとするか、愛する人生を選択して去ります。

自分を肯定できない男性は、自分を肯定できるかもと錯覚して、おもちゃにします。

どちらにしても率直な関係を創るのは難しくなります。

そもそも、そこにある愛のようなものとは、ただ愛されたい。自分の中の空虚を埋めてほしいだけのもので愛ではありません。愛することも愛されることもできないから愛から逃げ出すしかないのです。

セックスは、愛し合う男女が愛でたいと思う”自然に幸福でシンプルな行為”、それ以上でも以下でもないものを悩むのは、いつしか情報の氾濫に取り込まれ「特別なもの」になっているだけのこと。


安心できないセックスは幸福な関係のセックスではありません。








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