2014年9月30日火曜日

あなたが作った現実はあなたのお好みに変わる





自分の引き出しを引いてみてください。
そのなかにあなたが望んだものが入っています。あなたが引き寄せたものです。
それがあなたが見た現実です。あなたが作った現実です。

現実とあなたの力を比べてみるといい。
あなたの力の方が断然強いのです。つまり現実を変える力があるという意味です。

あなたの引き出しの中にある現実と、使わなかった力の間にあるのが、まだ見ていない現実です。





まだ見ていない現実は、あなたが生活の中心に据えるはずの<Be>が行き場をなくした時間に埋もれたままなのです。

<Be>はあなたのすべてを司どっている。あなたのすべてとは一番そとの環から見たあなたの状態です。つまり<Be>の力を使うにはステークホルダーが必要なのです。

考えてみてほしい、あなたの周りのステークホルダーが誰独りとしていない状態、さらに社会がない状態とは、無人島にいる状態に等しい。そこではあなたの身体と<Be>だけがある状態だ。動物と同じくただ生き延びるだけの存在です。

<Be>の力は使わないと妄想でしかない。現実にするには<Be>を宿す自分の身体と他者の心が必要なのだ。<Be>とは魂であり、根幹なのだ。ステークホルダーと相互依存の関係にある。

もし、<Be>のポジションに、あなたの彼を据えたとしたら、彼は搾取されたように感じ、窮屈を覚えるだろう。その上であなたが彼をコントロールするなら、あなたはおとぎ話に出て来る魔女と変わらない。

もし彼がその状態で居心地がいいと感じるようなら、あなたにとって彼はどういう人物なのか彼を疑うべきなのです。


いまあなたの隣に彼がいるかもしれない。キッチンにいるかもしれない、ベッドに寝ているかも知れない。彼の表情はどうだろう。どれであっても、その現実はあなたが作った現実なのです。










2014年9月21日日曜日

結婚して幸せになる人と、幸せにならない人はなにが違う?



「さっさと結婚して子ども産め」がセクハラ発言で話題になりましたが。。。その通りして幸せになれるわけではないのですから、言った議員の精神の貧しさは計り知れないものがありますね。

でも、アホな男がそう思う背景には、確かにそういう事実がなかったわけではないようです。昔は独りなら食えないが二人なら食えるということで、見合いでも結婚して生活することを優先した時代があったからです。

それからすると現代は恵まれています、その幸運を大切にしてより満ち足りた人生を過ごせるようにしたいものです。

そう願うものの、結果は行動の結果ですから、行動を変えない限り現状も未来も変わりません。

理想の男性が現れたら現状は変わると夢見る女性が少なくありません。

夢見ることは大切にしてもらいたいと思いますが、理想の男性が現れたら現状は変わるなら、あなたに主体性がないということになります。主体性がないというのは、自分の代わりに誰か、あるいは何かが、あなたの中心になっていることを意味します。

お金、所有物、ファッション、異性、家族、親、仕事、友人、飲食、遊興、宗教。。。。それに自分自身かも知れません。実は自分自身が生活の中心でも厄介なのです。

感情的でいつも不安定、私は得するか、気持ちいいかが判断基準になります。

利己的になるので、他者と協調して相互依存の関係が築けず、力は限定的になり、相乗効果が得られません。つまり人生を豊かにする愛情生活から遠のいてしまうのです。



では、どうすればいいのでしょう?
なにをすればいいかではなく、在り方を変えるのです。


結婚をして幸せになる人と、幸せにならない人には、違いが生まれる行動の違いがあります。行動の違いは価値観の違いから生まれます。在り方とは価値観です。

価値観が変わらない限り、違いが生まれる行動に変わらないのです。

もし、理想の男性が現れたら現状は変わると思い続けるなら、理想の男性はあなたを苦しめる役しかできません。

もっと良くないことが起る可能性は低くありません。弄んでバイバイならまだよくて、あなたの人生をまるごと弄ぶ男を惹き付ける可能性も高いのです。

なぜだか分かりますか?
あなたが自分カワイイに傾斜しているからです。

自分カワイイと自分大好きは全然違います。真逆です。

あなたがあなたを嫌っているから、自分カワイイに走るのです。その弱さに卑怯な男は敏感で、つけ込むのです。類は類を呼んでしまうのです。


目の前の等身大の彼を心から愛せるのは、目の中の自分をあなたが愛せることなしには不可能なのです。

結婚をしたら幸せになるとはあなたも思っていないでしょう。

結婚して幸せになる人と、幸せにならない人の違いは、ナルシシズムの有無なのです。




2014年9月5日金曜日

「好きな人とのセックスなのにハッピーじゃない。」



イキそうなのにイケない。
一度もイッタことがない。

と、いう女性は少なくありません。

セックスはメンタル&フィジカルの両面が密着した行為なので、些細な心理の動きで感じ方は変わります。なんでもない一度のつまずきがその後も緊張になってうまくいかないこともあります。愛し合う関係の破綻に繋がる場合もあります。

「セックスしたら、彼の態度が冷たくなった。」という恋の相談は多い部類に入ります。

「セックスはしてるけれど、どんな関係かよくわからない」というのもあります。
さらに「彼は他の女性ともつきあっているようだが、その関係が分からない。」

その反対もあります。

「セックスを拒否したら、彼の態度が冷たくなった。」
「同時に何人もつきあってるけど、誰が本命か自分でも分からない」

どれもセックスをエサにしたことで起っている同じ悩みのように思えます。

「女が身体を提供すれば男性は満足する」あるいは「自分のようなものでは満足してもらえない」と思い込んでいる勘違いな女性がいます。どちらもそんなことはない」のが答えです。

意識しているかどうか、あるいは意識と違っても、相手の気をひきたくて、確かな関係にしたくて、将来につながる保証が欲しくてと微妙に目的は違うものの、そこには精神的なつながりを求めながら、確かさがない不安を解消するための「愛されたいセックス」があります。理由は違っても結婚していても同じです。

彼女たちの「愛されたい」とは、「自分の空虚を埋めてほしい」という意味なのです。つまり、自分は相手の心に手をさしのべることができないのです。


その不安とアンバランスが相手に伝わってしまうことで起こる問題なのです。

自分を愛してくれるかどうか、不安を鎮めるために身体を差し出すとすれば、どちらにしたってセックスは貢ぎ物に成り下がります。そこで女性誌で学んだテクニックを駆使しても、愛の交歓にはなりません。

それではエクスタシーが得られるわけがありません。

心と身体は分離し、スポーツのようなセックスで快感を得られても心の満足はないので本当の歓びはありません。

もともと欲しかった「安心」が得られるわけではないからです。セックスレスになるのも、さらに求めてしまうのも根っこは同じなのです。

意中の男性に熱くなるものの、好きと言われたら、うれしいけれど怖くなって関係を壊し、複数の男性とセックスを楽しむ。

どんなに楽しんでも虚しく不安だけが募り、不安を消すためにセックスする。典型的なセックス依存症のひとつですが、彼女が欲しいのは、「怖くなって壊す関係」そのもの。




「私は肉食系’」と豪語しても実際は壁の向こうで震えるか弱い少女のままなのです。「自分が何者なのか」認識できないまま大人のふりをしているだけです。
「自分が何者なのか」分からないのに相手を受け入れることはできません。

男性は「自分が何者なのか分からない女性」を抱いていても人形のように感じるでしょう。自分を肯定している男性なら、魂を入れようと誠実に支えようとするか、愛する人生を選択して去ります。

自分を肯定できない男性は、自分を肯定できるかもと錯覚して、おもちゃにします。

どちらにしても率直な関係を創るのは難しくなります。

そもそも、そこにある愛のようなものとは、ただ愛されたい。自分の中の空虚を埋めてほしいだけのもので愛ではありません。愛することも愛されることもできないから愛から逃げ出すしかないのです。

セックスは、愛し合う男女が愛でたいと思う”自然に幸福でシンプルな行為”、それ以上でも以下でもないものを悩むのは、いつしか情報の氾濫に取り込まれ「特別なもの」になっているだけのこと。


安心できないセックスは幸福な関係のセックスではありません。