2014年7月27日日曜日

女子力を高めるペッティング



欧米の映画を見ていると、キスで彼の気持ちを確認する場面を目にします。
もちろん、男性にも彼女の気持ちが分かりますが、どちらかと言うと女性の方が受け身です。

キスは積極的愛情表現です。女性は確認する側なので受け身にならざるを得ません。
もちろん、女性が自分の気持ちを伝えたいときには、積極的に表現しようとします。

この表現をセックスの欲求度と勘違いする男女がいます。

では、どこで線引きするのかというと、お互いの気持ちです。
目は心の窓というように、好きな女性を見る目と、別の思惑があって見る目は違ってしまうものです。視線は精神的なペッティングのひとつです。

精神的なペッティングはいくつもあります。
相手に投げかけるすべての行為です。見つめる。メール、手紙を書く。電話をする。二人で食事をする。二人きりで話す。ドライブする。映画を見る。夏祭りに出かける。
これらの行為は愛する相手以外にもしますが、それらと違うのは、愛する人との間に於けるどの行為にも特別な思いが秘められています。結婚していても同じです。


これら精神的なペッティングの先にキスがあります。キスはより確信的に伝えるものです。さらに強いメッセージが身体的接触の全プロセスです。コーヒーを飲みながら脚を絡ませるのも身体的接触だし、より強い接触として行為の最中に体位を変えることがあります。

愛する気持ちの深さを伝えているのか、単なるセックスの欲求を伝えているのか、相手が伝えようとしているものがなにか、分からない女性は、自分のことが精一杯で相手の気持ちを考える余裕がない人です。

自分のことで精一杯という意味は経験の有無ではなく、愛する能力と意志が弱いということです。能力がないわけでも意志できないわけでもなく、不安を払拭できる基準が分からないのです。

だからいくら相手を変え経験を積んでも変わりません。無償の愛で満足する相手でない限り相手が去ってしまうので、経験で痛みを覚えていく選択しか残りません。痛みで自分のことしか考えられなくなった人にとって何一つ解決にはなりません。




無償の愛は、親の愛です。すべての人がマザー・テレサになれないわけではないでしょうが、親の愛と男女の愛は全く違うものです。男女が精神的なペッティングの後に親の愛に終始するとは血の涙を流し続けることに他なりません。結婚した後に親子の関係に似た関係になったとしても、男女の関係の氷山の一角が変わっただけで死ぬまで男と女なのです。

無償の愛を求める人には、キスの味は分からないのです。空腹な人が何を食べても味わう余裕がないのと同じです。この残酷な状態では毒を食べてしまう危険があります。まず水で落ち着かせる。


克服するには、愛してくれる人の胸で泣くことです。考えずにひたすら感情を味わう。不安も怒りも感情で流すのです。感情は感情で処理します。感情を言葉にするときは、ひとりのときに限ります。

FacebookやTwitterは便利な道具ですが、決して解決の役には立ちません。共感してくれる人がいて、安心できる場合もあり重宝しますが、ナルシズムを強める危険があります。つまり孤立を深めてしまうのです。

孤立は人の目を気にするから起こるのです。ナルシズムを満足させるペッティングはありません。

感情に善悪はありませんが、行動や言葉に置き換えると他者を傷つけることが多いので気をつけましょう。感情は感情のまま、過ぎていく時間に流せばいいのです。ただ胸で泣いて、感情を味わい切る。親との関係で傷ついた気持ち、得られなかった無償の愛を味わう。それも関係を深めるペッティングなのです。

涙を流した後に得られた一滴を言葉で伝える。言葉で伝えきれない溢れた想いはキスで伝える。さて、あなたのキスの味は?







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