2014年11月29日土曜日

自分を幸せにできる人、できない人の違い。



人は頑張ったから幸せになるわけではないのです。

どんな仕事にも「こんなものでしょう」というくくり方をする人と、「ここまでやりたい」と目標を持ってやる人がいます。目標を持ってやることと、どこまでやっても不安で「もっとやらないと」とは見方によっては同じように見えます。見る人の在り方で同じだと見えるようです。

「もっとやらないと、もっとやらないと」と追われているかのような切迫感は自分を信頼できない自信のなさから来るものですが、目標を持って「ここまでやりたい」というのは自分の在り方に忠実なだけで切迫感はなく、苦労と同時に楽しみがあります。プロセスを楽しむことができるのです。

この意識の違いが行動の違い、じぶん力の違いになっています。じぶん力が弱いということではなく、自分のシステムが弱めてしまいます。

もし楽しめないなら心は折れてしまいます。心が折れないようにするために自然と防衛本能が働きます。(防衛本能はありがたいものですが、反面自分を目標を遠ざける特長があるので強い注意が必要です)

「自分は努力しているがそれでうまくいかないのは他者のせい、環境のせい」というように主体性を放棄しますが、前提に「自分は努力している」を置いているので自分では主体的であると錯覚します。しかし他者は誤摩化せても自分は誤摩化せないので、蟻地獄のような負のスパイラルにはまりこみます。

この構造から自分を救うために、「持ち物」「できること(DO)」「資格」など外的な評価に頼ります。外的な評価とは外(他者やうわべ)から見た評価です。他者の評価に依存するので、他者の目が気になります。他者は自分以外の他者も見ているので比較されるような気がして不安がつきまとい「もっとやらないと、もっとやらないと」という切迫感の原因になります。

目標もなく、不足している不足しているというのはとっても疲れる状態ですから、実際には具体的な行動をする前に疲労感に圧倒されて何かをする前に終わっています。だから目標は単なるスローガンに成り下がり、具体的な対策はほとんどないのが特長的です。

一方、内的な評価で満足する人は、自分の在り方(BE)を自分で評価します。難しい話しではなく、自分はこうありたいと思い、それを形にしていきます。それが先に述べた目標を持って「ここまでやりたい」。。。他者と比較して自分はまだまだだなと思うことがあっても、心が折れるようなことはなく、自分も頑張ろうと思い、具体的に目標を持ちます。目標と比較して進捗状況を測ることができます。

この2つの違い。BE(在り方)を自分の中心に置くか、DO(なにをするか、できるか)を自分の中心に置くかで人生は変わります。実際は人生観の違いがBE中心、DO中心の違いになっています。

では人生観の違いとは、どういう違いで、その違いはどうのようにして生じたのでしょう?
実は人間関係の仕方の違いなのです。人間関係の仕方の違いには4つのパターンがありますが、自分でもどのようにして身についたのか、分からないので、自己研鑽を繰り返しても追いつかないのです。これを解くのがライフスキルの見直しです。単なる見直しではなく自分のルーツに辿り着いて丁寧に見直していくのです。つまり自分の仕組みを知って、なりたい自分になるように変えるのです。ライフスキル講座

人は頑張ったから幸せになるわけではないのです。

2014年11月3日月曜日

価値観をまるごと入れ替えて絶唱ハッピ〜

「絶唱」という鳥取出身の作家大江賢次の小説があり、鳥取県伯耆町桝水高原には石碑があり、恋愛スポットになっているそうです。

3度映画化されています。テレビ版は5度もあります。

映画版では山口百恵、三浦友和主演のものが一番新しく、といっても、1975年の作品。
古いのは小林旭、浅丘ルリ子主演で、自分が入院中のテレビで見たのが、これでした。





全部見ていなくて、その後の作品も小説も読んでいないので、詳しい話は分かりませんが、クライマックスを見ればおよそつかめます。

自分が相部屋の病室で、隣のベッドの人が見ていたのを見たのは、そのクライマックス。

亡くなった恋人に花嫁衣装を着せた上で、その花嫁を抱いた小林旭が森の中に入っていくシーンです。1990年のテレビ版では『絶唱 花嫁の亡骸を抱いて、許されぬ恋の名作』のタイトルで放送されたそうです。


で、自分はテレビ版タイトルの解釈と同じ感覚で見ていました。ところが隣のおじさんはこう言ったのです。「妖気漂いますな」

一瞬唖然としました。ここは観客が泣く場面ですよ。石碑にもなっているくらいの名場面です。

このように同じ事実を見ても、解釈はひと様々。
でも隣におじさんの解釈が間違っていたわけではありません。解釈が違うだけです。
解釈が違えば感じ方も違い、行動にも違いができてきます。

人はこうして違った価値観で暮らしています。
自分の人生を変えようとしたら、価値観を変える以外に方法はありません。

詐欺にひっかかる人は、何度も引っかかるといいます。頭が悪いのではなく思考回路が違うのです。ネットワークビジネスで儲けようとして、結局は損をしている人にも独自の思考回路があります。
ここでいう思考回路とは、価値観のことです。

言うのは簡単ですが、とても大変なことです。
人生観が変わるほどひどい災害にあうとか、大病するとか、大失恋するとか、大転換を引き起こすだけのショックがないと簡単には変わりません。

それを唯一といっていいくらいの転換を起こすのが<Be~在り方>を強制的に見直す機会です。

そこで私どもでは、クリスマス企画として、<ライフスキル講座Beプログラム>を展開します。<ライフスキル講座Beプログラム>は一年に及ぶ講座なので、きっかけとなる募集期間をクリスマスに限定させていただきます。

通常の<ライフスキル講座Beプログラム>より、【クリスマス限定のライフスキル講座Beプログラム】の方が中味が濃いのです。







さらに


2016年には【世界で一番美しい、人生まるわかり講座2016】の開催が決定しました。





2014年10月28日火曜日

<ある>を<する>にできる力




<BE〜在り方>だけでは現実を動かすことはできません。
あなたの周囲の大事な人々とWinーWinの関係を作るには約束を果たす行動の実行が必要です。

それが出来そうにないと想像するとWinーWinの関係を作ることを拒むようになります。



BE〜ある>を<DO〜する>ために<TO~なる>という段階が必要なのです。

すでに<ある>状態であれば<する>ことはできます。

しかし<ありたい>状態、願望の状態であれば、<ありたい>から<する>ことはできません。

多くの人は、ここでつまずきます。

一部の勇気のある人は<ありたい>から<する>を実行できますが、否定感の強い人は<ありたい>を<する>にできません。

そこで<Yes,But,If>の構文、つまり「その通りですね。しかしこの状態では無理です。もし条件が整えばやってみます。」を使って、<する>を打ち消します。Yes,But,If>を使っている限り変えることはできません。

この段階で必要なのは、打ち消すことではなく、<なる>ことです。
<なる>努力に目が向かわないので、<する>ことができないのです。

<なる>努力に目が向かないのは、傷つくことを恐れているのも一因ですが、その原因が<する>で評価を「されて来た」、「して来た結果だ」ということを忘れないでください。





<ある>に目を向ければ、そこには<ありたい>自分に気づくことができます。
<ありたい>自分に注目すれば、<なる>ことは大した難問ではなくなります。

<する>に目を向ければ、そこには過去の<する>で傷ついた自分がいます。
そのために<ありたい>自分を中心に据えず、他のなにか、誰か、つまり<依存>を中心に据え、確実に失敗します。


そうしてまたもや傷つき、意欲を失います。この問題にどのように切り込めばいいのか、説明します。

続きは


2014年10月21日火曜日

無邪気な自分を取り戻そう

人は無邪気なこどもが基本です。

「児童虐待」の迫害者が全員、口を揃えて言うのが、「うるさい」「言うことを聞かない」です。

しかしこの大人の意識に同情の余地はありません。
なぜなら子どもはそういうものなのです。

自分たちが子どもを生み育てるということは、それが前提です。
連れ子であっても、同棲であっても、その環境を受け入れることが前提なのです。

よくお店で走り回っている子どもを叱っている親がいます。居合わせた他の人々への申し訳で叱っておられるのですが、そういう場に連れてくるのが間違いで、子どもにしたらいい迷惑なのです。

このような体験を繰り返し、子どもは「無邪気であることは悪」とインプットされ、従順さを増していきます。(親の対応で適正~やりすぎ、放置と差はあります)

そのプロセスで子どもが学ぶので「抑圧」です。言い方を変えれば「偽りの自分」づくりに成功するのです。これに成功した人は、あとあと苦労します。
本当は抑圧ではなく主体的に選択させるように学ばせる必要があります。親はコミュニケーションに時間が必要となり捻出方法を考えなければなりません。

怖い顔で叱って暴力で封じ込めるのは、その一瞬は簡単であっても、そのツケは必ず回ってきます。

抑圧に成功した子は、なにごとも成果、結果で評価されようとします。
評価されるためには、<Do>なにかをしないといけないと思います。

できない自分はダメ人間だと思ってしまいます。
なにかするたびに結果を想像しただけで疲労を感じます。

行動する前に疲れてしまい、やる気が起りません。
この態度が習慣化します。

99日間プロジェクトで変えたいのはこの習慣と、習慣が変わらない本当の原因を知って、対策してもらうことです。


仕事だの人間関係だの、いろんな出来事があって、すでに疲れている心身を維持するのに大変なのに、あれもしなければ、これもしなければと追いつめられた気がします。

そうすると、いっぱい時間があっても、なにもする気がせず、ダメな自分と思いながら、くだらない番組しか放送していなくてもテレビの前に寝転んで、社会と繋がっている気がします。ますます自分が好きになれなくなります。

このパターンの過ちの元はどこでしょう?

「偽りの自分」づくりに成功したことです。
なにごとも成果、結果で評価されようとしたことに成功してしまったのです。

その結果、過去と未来しかない自分になってしまったのです。



<Do~ する>

過去の体験をもとに自分にできることを想像して<Do~ する>を繰り返す自分を創ってしまったのです。実際は過去の延長ではないのですが、過去に囚われているので習慣が変えられないのです。

次のような意識がぴったり貼り付いた状態です。

過去=できなかった
未来=できそうにない
判断=したくない(しなければならない)
結果=しなかった(できなかった)
意識=罪悪感、自分はダメな人間

これをはがす方法が主体性を取り戻すことです。
簡単に言えば<無邪気な自分>を取り戻すのです。

子どもはやりたいからするのです。

この<たい>が主体性(アサーティブ)であり、<Be~在り方>です。

ただ子どもと違い<率直、誠実、対等、自己責任>を果たす義務があります。この義務を果たせる能力が<ライフスキル>です。

<ライフスキル>は
IQでなくEQ(心の知能指数)と言われています。

EQ(心の知能指数)の表現を阻害しているのが、身につけている<人間関係の仕方の構え>です。


この先はこちら






2014年10月11日土曜日

「したいけどできない」は嘘




「したいけどできない」を繰り返し、自信を失っている人はたくさんいますが、主体性のないまま<Do〜なにをするか>に取り組んでいるからです。

主体性のないということは、主体性が他のなにかにすり替わっているということです。

それに自分が気づいていない、あるいは勘違いしているからです。










恋愛で苦しむ人は、間違いなく、相手を中心に据えています。

相手は相手で主体的に生きているので、自分の思うようにならないのが普通です。自分の思うようにならないものを中心に据えたら自分の恋愛は不安定になります。ならない方がおかしいのです。

苦しむことが愛情の深さではありません。もしそう感じているなら、恋愛に酔いしれているだけで、酒に酔っているのと同じです。

相手が精神的に病んでいることは、現代社会では珍しくありませんが、もし病んでいることに気づかず<Be〜在り方>に入れてしまうと自分の暮らしは破滅に向かいます。

主体的に暮らしていない相手と主体的に暮らしていない自分が恋愛をしたら「共依存」しかありません。この二人は1+1=2になりませんので、相乗効果は生まれません。

主体的にに暮らしている二人が恋愛すれば相乗効果が生まれて、1+1=3、4、5というようになります。

<Be〜在る>を基準にすると「したいことはできる」のが自然です。
<Do〜する>を基準にすると、できない場合もあります。

この事実を99日間プロジェクトで体感、実感していただくことが目的なのです。

その上で、マイプロジェクト(ユアプロジェクト)では、自主的に体感、実感していただくことが目的なのです。



2014年10月9日木曜日

こんなカレなら捨ててしまうに限る

過去の<Do~なにをしたか>の評価を鎧兜にして、ニセの自己肯定感でガードしている人って身近にたくさんいるでしょう。やたらめったら他人の評価が気になる人。

この種の人は他人の優れた点が気になるので、目障りに感じます。
そこで他人を評価を貶めたくなります。貶めることで、自己否定感を肯定感に塗り替えようとするのです。

つまり否定的になるほど、他人が気になって、他人の評価を自分がしているのです。

この状態を客観的に見ていると、とても滑稽だし、気の毒です。蟻地獄に自分で入り込んでいるからです。

その苦しさを拭ってくれるのは他人の評価ですが、ごく親しいものに限られます。

そこで外の大きな世界との交流を避けます。

この種の人を<ボス>に持てば、チームは病的な集団にならざるを得ません。自律的なチームを求めることは不可能になるので、共依存にならざるを得ません。






これはあなたと彼の関係にもあてはまります。在り方の問題なので、あなたとの関係が仕事にも出るのです。

この種の人の問題は<Do~なにをするか、したか>で評価を求め続けることです。

なにがウィークポイントになっているかで、なにから自己肯定感を得ようとするか、対象は違いますが、異性のとの関係に求めたら、際限のないヤリマンになる危険大です。

彼は愛を求めているようで、実際には自己肯定感を求めているので、愛からは逃げ出します。

ひとつの恋が落ち着いたら、次の恋でまた、自己肯定感を求めようとします。


浮気も本気もないのは自信をえたいばっかりだからです。

一種の病気です。本人が気がつかない限り、蟻地獄から出てくることはできません。

終わりがないので、こんなカレなら捨ててしまうに限ります。

間違っても、自分が助けてあげようと思わないことです。もし、あなたもそう思うなら、あなたもすでに蟻地獄のなかです。カレのことより自分のことを心配しましょう。











2014年10月7日火曜日

習慣は第二の天性、だから簡単に変える方法が大切



習慣は第二の天性といいます。

朝起きたらまず何をしますか?
昼が近づいたらなにを考えますか?
夜9時になったら、なにを考えますか?
寝る前になにをしますか?

すること、考えることは、人さまざまですがほとんどの人は毎日同じことをしています。
認知症のお年寄りは、なかなか認知症と気づかれませんでした。
毎日同じ時間に、同じことを、していたからです。あなたが意識していなくてもできるように、体の中に刻み込まれているのです。

スゴいことだと思う反面、怖いことだと思いませんか?

この行動パターンのことを一般的に習慣と詠んでいます。
コミュニケーションに苦労するのもあなたの性格ではなく、あなたの行動パターンでしかありません。イライラするのもあなたの行動パターンです。

あなたをコントロールしてあなたの人生を操っていたのは、「習慣」と言う名のあなただったのです。

習慣とは、広辞苑によれば「習慣は人の性行に深くしみこんで、生まれながらの性質のようになる。習慣が人の性行に影響することの大きいことをいう」とあります。

性質のように、ぴったりあなたに貼り付いてします行動パターンです。クルマの運転がいい見本です。無意識に複数の行為を同時に行いながら無事に車庫におさまるように運転しています。

最初はどうでしたか?

これからも言えることは、習慣を変えれば、行動が変わり、人生も変わります。
その意味で習慣は第二の天性なのです。


では、どうすれば、習慣を変えることができるのでしょう?

困ったことに、誰でも自分で習慣を変えることは難易度の高い大事業なのです。



2014年9月30日火曜日

あなたが作った現実はあなたのお好みに変わる





自分の引き出しを引いてみてください。
そのなかにあなたが望んだものが入っています。あなたが引き寄せたものです。
それがあなたが見た現実です。あなたが作った現実です。

現実とあなたの力を比べてみるといい。
あなたの力の方が断然強いのです。つまり現実を変える力があるという意味です。

あなたの引き出しの中にある現実と、使わなかった力の間にあるのが、まだ見ていない現実です。





まだ見ていない現実は、あなたが生活の中心に据えるはずの<Be>が行き場をなくした時間に埋もれたままなのです。

<Be>はあなたのすべてを司どっている。あなたのすべてとは一番そとの環から見たあなたの状態です。つまり<Be>の力を使うにはステークホルダーが必要なのです。

考えてみてほしい、あなたの周りのステークホルダーが誰独りとしていない状態、さらに社会がない状態とは、無人島にいる状態に等しい。そこではあなたの身体と<Be>だけがある状態だ。動物と同じくただ生き延びるだけの存在です。

<Be>の力は使わないと妄想でしかない。現実にするには<Be>を宿す自分の身体と他者の心が必要なのだ。<Be>とは魂であり、根幹なのだ。ステークホルダーと相互依存の関係にある。

もし、<Be>のポジションに、あなたの彼を据えたとしたら、彼は搾取されたように感じ、窮屈を覚えるだろう。その上であなたが彼をコントロールするなら、あなたはおとぎ話に出て来る魔女と変わらない。

もし彼がその状態で居心地がいいと感じるようなら、あなたにとって彼はどういう人物なのか彼を疑うべきなのです。


いまあなたの隣に彼がいるかもしれない。キッチンにいるかもしれない、ベッドに寝ているかも知れない。彼の表情はどうだろう。どれであっても、その現実はあなたが作った現実なのです。










2014年9月21日日曜日

結婚して幸せになる人と、幸せにならない人はなにが違う?



「さっさと結婚して子ども産め」がセクハラ発言で話題になりましたが。。。その通りして幸せになれるわけではないのですから、言った議員の精神の貧しさは計り知れないものがありますね。

でも、アホな男がそう思う背景には、確かにそういう事実がなかったわけではないようです。昔は独りなら食えないが二人なら食えるということで、見合いでも結婚して生活することを優先した時代があったからです。

それからすると現代は恵まれています、その幸運を大切にしてより満ち足りた人生を過ごせるようにしたいものです。

そう願うものの、結果は行動の結果ですから、行動を変えない限り現状も未来も変わりません。

理想の男性が現れたら現状は変わると夢見る女性が少なくありません。

夢見ることは大切にしてもらいたいと思いますが、理想の男性が現れたら現状は変わるなら、あなたに主体性がないということになります。主体性がないというのは、自分の代わりに誰か、あるいは何かが、あなたの中心になっていることを意味します。

お金、所有物、ファッション、異性、家族、親、仕事、友人、飲食、遊興、宗教。。。。それに自分自身かも知れません。実は自分自身が生活の中心でも厄介なのです。

感情的でいつも不安定、私は得するか、気持ちいいかが判断基準になります。

利己的になるので、他者と協調して相互依存の関係が築けず、力は限定的になり、相乗効果が得られません。つまり人生を豊かにする愛情生活から遠のいてしまうのです。



では、どうすればいいのでしょう?
なにをすればいいかではなく、在り方を変えるのです。


結婚をして幸せになる人と、幸せにならない人には、違いが生まれる行動の違いがあります。行動の違いは価値観の違いから生まれます。在り方とは価値観です。

価値観が変わらない限り、違いが生まれる行動に変わらないのです。

もし、理想の男性が現れたら現状は変わると思い続けるなら、理想の男性はあなたを苦しめる役しかできません。

もっと良くないことが起る可能性は低くありません。弄んでバイバイならまだよくて、あなたの人生をまるごと弄ぶ男を惹き付ける可能性も高いのです。

なぜだか分かりますか?
あなたが自分カワイイに傾斜しているからです。

自分カワイイと自分大好きは全然違います。真逆です。

あなたがあなたを嫌っているから、自分カワイイに走るのです。その弱さに卑怯な男は敏感で、つけ込むのです。類は類を呼んでしまうのです。


目の前の等身大の彼を心から愛せるのは、目の中の自分をあなたが愛せることなしには不可能なのです。

結婚をしたら幸せになるとはあなたも思っていないでしょう。

結婚して幸せになる人と、幸せにならない人の違いは、ナルシシズムの有無なのです。




2014年9月5日金曜日

「好きな人とのセックスなのにハッピーじゃない。」



イキそうなのにイケない。
一度もイッタことがない。

と、いう女性は少なくありません。

セックスはメンタル&フィジカルの両面が密着した行為なので、些細な心理の動きで感じ方は変わります。なんでもない一度のつまずきがその後も緊張になってうまくいかないこともあります。愛し合う関係の破綻に繋がる場合もあります。

「セックスしたら、彼の態度が冷たくなった。」という恋の相談は多い部類に入ります。

「セックスはしてるけれど、どんな関係かよくわからない」というのもあります。
さらに「彼は他の女性ともつきあっているようだが、その関係が分からない。」

その反対もあります。

「セックスを拒否したら、彼の態度が冷たくなった。」
「同時に何人もつきあってるけど、誰が本命か自分でも分からない」

どれもセックスをエサにしたことで起っている同じ悩みのように思えます。

「女が身体を提供すれば男性は満足する」あるいは「自分のようなものでは満足してもらえない」と思い込んでいる勘違いな女性がいます。どちらもそんなことはない」のが答えです。

意識しているかどうか、あるいは意識と違っても、相手の気をひきたくて、確かな関係にしたくて、将来につながる保証が欲しくてと微妙に目的は違うものの、そこには精神的なつながりを求めながら、確かさがない不安を解消するための「愛されたいセックス」があります。理由は違っても結婚していても同じです。

彼女たちの「愛されたい」とは、「自分の空虚を埋めてほしい」という意味なのです。つまり、自分は相手の心に手をさしのべることができないのです。


その不安とアンバランスが相手に伝わってしまうことで起こる問題なのです。

自分を愛してくれるかどうか、不安を鎮めるために身体を差し出すとすれば、どちらにしたってセックスは貢ぎ物に成り下がります。そこで女性誌で学んだテクニックを駆使しても、愛の交歓にはなりません。

それではエクスタシーが得られるわけがありません。

心と身体は分離し、スポーツのようなセックスで快感を得られても心の満足はないので本当の歓びはありません。

もともと欲しかった「安心」が得られるわけではないからです。セックスレスになるのも、さらに求めてしまうのも根っこは同じなのです。

意中の男性に熱くなるものの、好きと言われたら、うれしいけれど怖くなって関係を壊し、複数の男性とセックスを楽しむ。

どんなに楽しんでも虚しく不安だけが募り、不安を消すためにセックスする。典型的なセックス依存症のひとつですが、彼女が欲しいのは、「怖くなって壊す関係」そのもの。




「私は肉食系’」と豪語しても実際は壁の向こうで震えるか弱い少女のままなのです。「自分が何者なのか」認識できないまま大人のふりをしているだけです。
「自分が何者なのか」分からないのに相手を受け入れることはできません。

男性は「自分が何者なのか分からない女性」を抱いていても人形のように感じるでしょう。自分を肯定している男性なら、魂を入れようと誠実に支えようとするか、愛する人生を選択して去ります。

自分を肯定できない男性は、自分を肯定できるかもと錯覚して、おもちゃにします。

どちらにしても率直な関係を創るのは難しくなります。

そもそも、そこにある愛のようなものとは、ただ愛されたい。自分の中の空虚を埋めてほしいだけのもので愛ではありません。愛することも愛されることもできないから愛から逃げ出すしかないのです。

セックスは、愛し合う男女が愛でたいと思う”自然に幸福でシンプルな行為”、それ以上でも以下でもないものを悩むのは、いつしか情報の氾濫に取り込まれ「特別なもの」になっているだけのこと。


安心できないセックスは幸福な関係のセックスではありません。








2014年8月30日土曜日

すれ違うラブ・コミュニケーション




  • 彼女 どこへ行く?お月見に行きたいわ。たまに郊外に行くのもいいわね。
  • 彼  疲れるよ、近くでシネコンにでも行こうよ。なにかやってるだろ。
  • 彼女 疲れるって、私といるのが楽しくないの?久しぶりのデートよ。
  • 彼  そんなこというけど、月見に最適な場所って、行くだけでも一苦労じゃないか
  • 彼女 私といるのが苦痛だっていうの?
  • 彼  そんなこと言ってないじゃん、移動するのが大変だと言ってるんだ。
  • 彼女 なによ、面倒くさそうに、もういい。私も暇じゃないのよ、もう帰るわ!


このやりとり、どう思いますか?

彼は彼女のことを心配して、近場で楽しもうと提案したのです。

ところが、彼女は「疲れるよ」「一苦労」というネガティブな言葉に反射して不機嫌になりました。


彼女には何が不足していたのでしょう?

言葉以外の表情や態度から彼の心を読み取ることでした。

彼女は忙しさに潜んでいるイライラやその反動で彼と無邪気な時間を過ごしたい気持ちを持っていましたが、彼にはその気持ちを汲んであげる配慮が不足していました。

ふたりとも気持ちに余裕がなかったのか、表面的な事情と言葉に執着してしまい、「こうあらねば」と決めつけてコミュニケーションしてしまったことがトラブった原因です。

実際にはとっても難しいと思いますが、このように思いが空回りしてしまうことが少なくありません。特に大切な相手であればあるほど、身構えてしまい、気持ちの余裕をなくしてしまうので、紋切り型のコミュニケーションに陥る危険があります。




これをTAのストローク分析してみましょう。


  • CP(厳格な父親の心)
  • NP(保護的な母親の心)
  • A(大人の心)
  • FC(無邪気な子どもの心)
  • AC(従順な子どもの心)



  • どこへ行く?お月見に行きたいわ。たまに郊外に行くのもいいわね。 FC→FC
  • 疲れるよ、近くでシネコンにでも行こうよ。なにかやってるだろ。  A→A
  • 疲れるって、私といるのが楽しくないの?久しぶりのデートよ。         FC→FC
  • そんなこというけど、月見に最適な場所って、行くだけでも一苦労じゃないか CP→AC
  • 私といるのが苦痛だっていうの?  CP→AC
  • そんなこと言ってないじゃん、移動するのが大変だと言ってるんだ。CP→AC
  • なによ、面倒くさそうに、もういい。私も暇じゃないのよ、もう帰るわ! CP→AC


このように最初は彼女が彼の無邪気な心に投げかけています。無邪気な気持ちでふたりの時間を楽しみたいのはありありです。
それに対して彼は彼女を思って分別のある大人の心から彼女の大人に投げ返しています。(言葉だけでは彼女は誤解してしまう危険があります)

それでも彼女は二人の時間を楽しみたいので、彼の無邪気な心に投げかけますが、彼は厳格な父親の心から従順な子どもの心に投げかえします。

そこで彼女は切れて「私といるのが苦痛だっていうの?」と厳格な父親の心から従順な子どもにストロークするので、互いのコミュニケーションは交叉します。

後はお互いに厳格な父親の心から従順な子どもにストロークを続けるので、せっかくのデートが破綻します。

言葉だけ見るとトラブるやりとりですが、もう少し余裕があって、表情、態度に気持ちを強く出し、真意を読み取ることができれば言葉の裏側にある隠れたストロークを発見して、そちらを優先することができれば、楽しい時間を過ごせたはずなのです。

それには彼女に「この人はいつも私のことを大切にしてくれている」という信頼感が必要だったのです。彼には信頼関係を築いておく上に、さらに目配り、気配り、心配りが必要なのです。

これから言えることは、どんなに愛し合っていても、コミュニケーションはすれ違うものだということです。

それを前提に相手の心に寄り添うように聴くということは、言うのは簡単ですが、難易度が高いことです。

「相手を思うことは大切だと分かっている。事実思っているのに、具体的にどうすればいいのか分からない。結局、分からないまま、思いだけで時間が過ぎていき、それが形になってふたりの関係が固まって行く。」

ではどうすればいいのでしょう?続きはこちら☟










2014年8月22日金曜日

「あなたは私の望みを知って叶えてくれる」という幻想





「あなたは私の望みを知って叶えてくれる」という幻想

続く


現実世界では、欲求、願望、希望は、はっきり伝えなければ、かなえら
れる見込みはないのです。

子どものころから、期待を抱かなくなった子どもがいます。
期待すれば少なめに見ても失望することになるし、最悪の場合にはうちのめされダメージが残ることを体験したからです。

親が守ってくれなかった約束は遊園地かも知れない。夏休みの海かも知れない。
大学だったかも知れない。

期待しなければ傷つかない。失うものもない。言わずにいれば、少なくても誰にも分からない。小さなプライドは傷つかない。

生きる知恵だ。
しかし、恋愛、結婚に於いて、それはいい方法とは言えない。

あなたが、望みが適わなかったことで、彼を傷つけていくからだ。表面的にはなにごともなかったように振る舞えても、傷ついた心は二人の関係を傷つける。

仕方がない。彼が私のことを省みなかったからだ」とあなたは思うかも知れないが、それは違うのです。現実世界では、欲求、願望、希望は、はっきり伝えなければ、かなえられる見込みはないのであって、それは彼のせいではないのです。


大事なことは、彼がいつもあなたの心情を察することではなく、ふたりで力を合わせて二人の望みを叶えていくことです。