2011年6月26日日曜日

アマチュアとプロフェッショナル

人は誰でも一生懸命にやっていると思いたいものだ。しかしカタルシスになっても、だからどうしたという話しでしかない。なぜなら、みんな一生懸命だからだ。
遊び人だってツボにハマった時には一生懸命になり力を発揮する。大多数と変わらない。ツボの範囲が狭いだけで、一般が違うのはツボに入らない仕事との付き合い方が露骨でないだけだ。

金のないものなら、どんな職業でも、みんな命がけで一生懸命になっている。だから命がけでやっても、大差はつかないものだ。出し抜いたものは、決まって人と違うことをしている。頭と体を使って出し抜く。それが心のありようになる。

言うのは簡単だが、人の真似している限り、安全だと思い込んでいる者にはその真似ができない。みんながやっていることを真似しているだけでは消耗するだけだが、それは気にならないようだ。そこでたいして面白くないことが蔓延して、ツボにハマらないことが目立つようになる。商売する側はモチベーションを下げたままで一生懸命で、買う側は心動かすものを探し続ける。ミスマッチが多いほどハマッた時のインパクトが大きいのは当然だ。

ツボにハマった者、ハマらないものがが共存するので、どんな世界にも、アマチュアとプロフェッショナルがいる。ツボを作ってやるのがプロフェッショナルであり、リーダーとは、まだ遭遇したことのない世界に連れていってやれる者だ。

アマチュアは、生活がかかっていない人、あるいは敏感になる必要のない人のことで、プロはそこが違う。プロはずっとそれで飯を食う。誰でも知っていることだが、給料もらって生活していると、生活感とプロ意識が乖離してしまう。プロには生活と能力の2つの側面があって、深い因果関係がある。その因果を深めているのが目的意識だが、乖離してしまうと曖昧になる。生きてさえいたらいいのか、儲けてさえいたらいいのか、そこのところの問題に行きつく。

どんな世界にも競争がある。本当に競争が厳しい世界であるほど、この違いは鮮明で、決定的な要因になる。
アマは、その場さえうまくいくとしめたと思う。プロには、考えられない発想である。言い方を変えると細く長くがプロの発想だ。それで飯を食っているからだ。ところが、アマは太く短くてもいい。だから目先しかない。プロは大局的なので「損して得とれ」と考えることができる。アマには出来ない発想だ。この大局観の核になっているのが、目的のありようだ。

人はとかく表面化した現象で評価するが、現象はモノサシにならない。アテにならない。プロはアテにならないことに右往左往していられない。なぜならプロは自分にできることを高めていく、すると自分にしかできないことにこだわり磨きをかけることになる。これがプロの条件だといえるものだが、その一途を支えるのが人としての目的だ。目的がないとそんなエネルギーは、どこからも湧いてこない。

アマからプロになるには自分にしかできないことを磨く覚悟がいる。他者ができることをしているだけでは必要とされない。どんな世界にも主役と脇役というように役割分担があって、それぞれの役割が必要とされるように、プロは自分にしかできない技術を磨いている。それを支えているのが、人としての目的で、そのありようは目に見えない。

プロだから差別化できるのでなく、差別化できるからプロになれるのだ。差別化できるのは自分にも他者にも明快な目的があるからだ。働いていたらいい、儲けていたらいいという発想しかないものに、差別化はできないので、ずっとアマのままだ。

自分のレベルが上がらないと対戦相手、競争相手もアマのままになる。レベルの違う者と対戦はできない。どんな世界でも同じで、自分のレベルがあがると相手のレベルもあがるが、苦しくなるのは当り前で、それが自分のパワーアップになる。あいてのレベルが上がると、これまでのようには勝てない。より上の相手に勝つにはそれ相応の力をつけていないと相手にならない。相応の力を養うことが義務化される。これって目標設定と同じ仕組みだよね。

「損して得とれ」を文字通りに解釈する人がいるが、そんなことはない。読み違いだと思うね。人間にはできることとできないことがある。出来ないことにいくら精力を注ぎ込んでも出来ない。「損して得とれ」とは”自分が出来ることに命がけの力を発揮する。”そういう意味だと解釈しているよ。

できないことをいくら努力しても無理なんだよ。してもらわないと困ることがあるし、してもらっては困る努力もあるということだ。する程尊敬される努力もあるし、する程軽蔑されることもある。するほど、バカと思われることもある。そこのところを誰れの腑にも落とせるのが、プロフェッショナルなんだ。つまり原理原則、道理に合わないことをしないのがプロなんだ。プロはそれで生計を立てているからバカなことをしないよ。自分にできることをするしかない、他力本願に背を向ける。

ここが肝心なのでしっかり受け止めて欲しいんだが、自分にできることしかやらないということは、自分の努力が及ぶことしかしないということなんだ。でもアマはやるね。それで生きていこうと思っていないからね。時間を自分のできないことに使っていても気にならない。他力本願でもいいから代替品でも満足していまう。

たとえば恋愛の悩みはその典型で、相手が自分の思い通りにならないということに悩む。丁半博打で自分が想像した目が出る方法を教えてくれというのと同じだ。考えても仕方のないことを身も細るほどに悩むが、これなんかはそれで飯食っているわけではないからできることで、もし恋愛で飯食ってたら気が狂うだろう。そんな人もいないけどね。言いたいのは考えても仕方のないことは気にしないということだ。

自分にできることで、実際の解決策を言うなら、結論はひとつしかない。相手があなたでないとどうしてもダメだと思い続けるようにするしかない。相手好みの他の誰れとも違う自分になるしかない。そこで次のような問題が起こる。

・相手好みの自分になれない=主体性を失う
・相手好みの自分になれない=能力がない
・相手好みの自分になりたくない=従属的になりたくない

しかも、従属的になると。逆にウザいと蔑まれる。反対に主体性を維持すれば、傲慢と嫌われる。能力が乏しいと蔑視される。相手が立つか、自分が立つかと競争的な関係になりかねない。もっとも適切な自分にできることは、主体性を失わずに、能力を高め、協調性のある自分になることだ。それでも相手が気に入ってくれない場合はお互いを尊重して別れられることだ。いい女はそれができる女で、人間としてプロなんだ。恋愛の前に自分の暮らしがきちんとしてる。やっぱりライフスキルの力が大きいよね。

ところが悩む女も男も、神様にでもなる勢いで、できないことに意識が集中している。逆に自分にできることに無関心だ。相手に翻弄される態度を甘受できるのは、アマチュアだからだよ。暮らしがぶっとんでる。恋愛が成就しても生活が破綻してると、孫の世代までおかしくなるよ。

しかも、今日は機嫌がいいか、悪いか、相手を伺いながら、一生、パートナーとの間で丁半博打みたいな関係を続けるつもりなのか、まさかそういうつもりはあるまいが、笑い事ではない夫婦関係は思う以上に少なくないんだよ。つまりもともと真剣に仲のいい夫婦を続けて行こうという気がないか、不勉強だということなのだ。いくら若くてもそれは無謀というもんだよ。

不勉強でもなんとかなると思っているのは、すでに不真面目ということで、本気ではないのでアマチュアの生き方しかできない。すでに見たような気がする世界をなぞる気迫に欠けた生き方だ。

奇数、偶数を当てる丁半博打の勝ち負けは、確率は50%だが、張り方で確率が変わると思い込んでいるので、どちらが出るかを必死で考える。たとえば5戦したとして奇数、奇数、偶数、奇数、偶数なら奇数3回、偶数2回で、奇数が1回多い。そこをうまく読み当てると1回多い分勝ちになる。反対なら1回負けになる。これを張り方の違いと考えているかも知れないが偶然を重ねただけで、恋愛の悩みと変わらない。これを張り方とは言わない。

自分でコントロールできない奇数、偶数はどうでもいいのだ。どんなギャンブルも同じで、張り方とは張る金の動かし方なのだ。1000円.1000円と張って、2回とも当らず2000円の損、三回目に3000円張って、当ると前2回の2000円の損を取りもどして1000円の勝ち。ギャンブルで自分がコントロールできる部分はこの部分だけで、損をしないことが、飯を食わなければならないプロの鉄則なのだ。野球でも相撲でも同じで、通算で負けないことが鉄則で、それには負けないパターンを持っていることが重要になる。

人間は生きていかなければならない。「ならない」というのは変かも知れないが、死んでしまうには、もったいないほど、面白いことがいっぱいある。生きるとは、継続することで、どんなに小さな会社だって”Going Concern”といって無期限に事業を継続することを前提にした経営をすることになっている。だから赤字を出すわけにはいかない。人間も同じで、どうにもできないことに翻弄されて破壊するわけにはいかないのだ。自分をコントロールするのは、能力の問題ではなく責任なのだ。

だから願いが叶わないくらいなら死んだほうがマシだという位の覚悟があってもいいと思うよ。死に物狂いって悪いことではない。でもね、自分にできることでないと意味がないよ。自分でコントロールできない問題で、実現しないなら死んだほうがマシだというのは、どう考えても何の意味もないだろう。周囲を巻き添えにするだけで、意味不明な分、呆れるしかないんだからね。

感情の洪水に流され右往左往するのではなく、必要なスキルを身につけると同時に自分にできること、さらに自分にしかできないことに精を出して、人間のプロとしてかけがえのない人生に仕上げていくことを楽しみたいものだ。

自分にできること、さらに自分にしかできないことに精を出すにはどうしたらいいのか。そこで、目的、目標から逆算して導きだした因果関係を丁寧に創り上げていき、決して目的が破綻するような要因を作らないことだ。

物事は何か決定的なひとつの要因で決まるわけではなく、いくつかの要因で決まっている。結果には必ず原因があるのだから問題を引き起こすような原因を先に取り除いておけばいいんだよ。ようするに危機管理の話だけど、もっとポジティブに先に先に打って出て、計画、目標より先に出て戦略にしてしまうんだよ。目標も計画も目標管理、危機管理も中味は同じで、どのタイミングでやるかで呼び名が違うようなものだ。最初から最後までやり続けたらいいことで、最初がしっかりしていないから、中味が変わってくるだけのことなんだ。

因果関係のことは次に話そう。